2026-02-13

呉須(ごす)の歴史ミステリー:名前の由来と、海を渡った青の物語

有田焼の命である「青」。その源となる呉須は、一体どこから来て、なぜ「呉須」と呼ばれるようになったのでしょうか?
実は、その歴史には多くの謎が残されています。

今回は、有田町歴史民俗資料館の館長にお伺いした貴重なお話を元に、呉須のルーツに迫ります。

【結論】呉須の歴史・3つのポイント

  • 元々は中国・イスラム圏から輸入されていた(日本産は品質が低かった)
  • 「呉須」という呼び名は日本独自のもので、中国の地名「呉州」が由来という説が有力
  • 江戸時代後期までは「茶碗薬」と呼ばれていた

1. 呉須の由来:海を渡ってきた「青」

明治時代以前、日本で使われていた高品質な呉須は、すべて海外からの輸入品でした。

中国からの輸入

主な産地は中国南部(浙江省・江西省・雲南省など)です。
中国では、明の時代(1368年〜1644年)頃から、イスラム圏から輸入していた「回青(イスラムブルー)」の供給が途絶えたため、国内で採れる天然呉須を使い始めたと言われています。

日本での産出(瀬戸・多治見)

日本でも、愛知県の瀬戸周辺で「呉須土(アスボライト)」が産出されました。
しかし、成分分析をすると発色成分(コバルト)が薄く、不純物も多かったため、有田焼のような鮮やかな青を出すには不向きでした。また、所在の藩以外に出される事はありませんでした。

そのため、有田では長崎・出島を経由して中国産の呉須を輸入していたのです。


2. 名前の謎:「ゴス」とはどういう意味?

実は、「呉須」という言葉は中国には存在しません。
中国では「碗花」「頂円子」などと呼ばれており、呉須は日本で生まれた言葉だと考えられます。

有力説:「呉州(ごしゅう)」が訛った?

一説によると、中国の「呉州(現在の江蘇省・浙江省あたり)」から来たものだから、「呉州(ごしゅう)→ ごす」と変化したのではないかと言われています。
ちょうど上海や南京がある、長江の河口付近のエリアです。

昔は「茶碗薬」と呼ばれていた

文献によると、江戸時代中期までは「呉須」という言葉は使われておらず、「茶碗薬(ちゃわんぐすり)」という名称が一般的でした。
「呉須」という呼び名が定着したのは、江戸時代後期になってからのようです。


まとめ:歴史を知ると、青がもっと深くなる

はるか昔、シルクロードや海を渡って日本に辿り着いた「青」。
その歴史を知った上で筆を走らせると、染付の青色がまた違って見えてくるかもしれません。

そして現在、2026年からは深海商店が有田の呉須を一手に担います。
先人たちが苦労して手に入れた「青」を、現代の技術と伝統製法で、最高品質のまま未来へ繋いでいく。そうすることで、クリエーターの創造を支える。
それが私たちの使命です。

歴史を受け継ぐ、深海商店の「呉須」

渋みのある「唐呉須」から、鮮やかな現代の青まで。
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取材協力:有田町歴史民俗資料館

 

この記事の執筆者

深海宗佑

佐賀県有田町出身。深海家13 代目。株式会社深海商店後継者。先祖は有田焼始祖の一人である百婆仙。熊本大学理学部理学科卒業後、東京の大手経営コンサルティング会社にて勤務。2021年8月に有田町にUターンし、有田焼及び肥前窯業圏の再興を使命に東奔西走する。